2014年2月13日木曜日

「中国解放軍史上最大の汚職」を2年越しで公表:中国軍に大激震

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●下記翻訳した財新網の記事。写真が谷俊山(http://china.caixin.com/2014-01-14/100628804.html)


「WEDGE Infinity」 2014年02月13日(Thu)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3593?page=1

中国軍に大激震
解放軍史上最大の汚職」を2年越しで公表

 中国軍の内部ではいま一体何が起きているのか。
 対外拡張的な強硬路線は習近平によるお墨付きを得たものなのか。
 「軍事的冒険主義」に突っ走っているという見方もあるが実態はどうなのか。

 外から見ると現在、中国軍では二つの動きが同時並行的に進んでいることが窺える。
①.一つは日本の安全保障に大きく影響する海洋や空、宇宙空間での拡張主義的動きであり、
②.もう一つは綱紀粛正を図って規律を引き締めながら機構改革を進める動き
である。
 強硬的態度は拡張主義的動きの表れか、それとも機構改革を巡る反発や自己主張の反映なのか。

■軍史上最大の汚職「谷俊山事件」とは?

 軍に対する汚職摘発、贅沢禁止、綱紀粛正での統制強化の実態が伝えられることはない。
 軍内部の問題はあまりに敏感なので公開がはばかられるのだ。
 腐敗した国民党に代わり、抗日戦争を戦って国を作った解放軍という筋書きが崩れ、共産党の正統性が揺らぎかねないためだ。
 しかし現在、空前の激震に見舞われている。
 「軍史上最大の汚職」と言われる谷俊山事件が起き、更迭から2年たってやっと中国国内で報道されたのだ。

 谷俊山は兵站を統括する幕僚部門である総後勤部のナンバー3(副部長)だった。
 軍の階位は上将に次ぐ上から2番目の中将だが、解放軍230万のトップ30に入る。
 一説に200億元(3000億円超)と言われる巨額の汚職額だけでなく、地位の売買もあったと言われ、
 背後にはより高位な高官や軍を代表する美人歌手(湯燦:彼女は収監されているのか、行方知れずになっている)の関与も取り沙汰されている。

 情報が出たタイミングには政治的意図が働いた可能性が大きい。
 薄煕来事件を巡る混乱が収束し、共産党中央委員会3回総会も無事に改革案を打ち出して実働段階に入っている。
 ゴーサインを受けて出た情報と言えそうだ。
 ただそれでも『財新』誌が谷俊山事件の報道にかけた意気込みは評価してしかるべきだ。

 そこで今回、2本の記事を紹介したい。
★.『財新 新世紀』誌サイトの記事「総後勤部副部長の谷俊山が捜査されて既に2年」と、
★.『財新』に続けて社説で取り上げ、遠慮がちながらも事件の公開を政府に求めた党機関紙『人民日報』系統の『環球時報』サイト社説「軍の汚職取り締まりは公開すればするほど民衆の信任を獲得できる」である。

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記事(1):【2014年1月14日 『財新網』(抄訳)】

 20人以上の私服の武装警察隊員が二列に並んで軍用特別供給マオタイ酒のケースを一箱一箱2台の緑色の軍トラックに積み込んでいる。
 金製の船の置物、盆、毛沢東像も押収した。
 2013年1月12日深夜のことだ。家宅捜査されたのは軍総後勤部の谷俊山副部長の実家だ。
 谷の名前が国防部ホームページから消えて既に1年経っている。

 2013年8月、国防大学の公方彬教授が人民網「強国論壇」(党機関紙『人民日報』のBBS:筆者)のゲストとして登場した際に谷俊山の汚職問題を明らかにした。
 彼によると
 「谷俊山とその前任という軍高官二人続けての犯罪に民衆は不満」
という。
 権威筋が谷俊山の汚職捜査を明かしたのは初である。

 公が言う「前任」とは海軍の王守業元副司令官のことだ。
 1億6000万元(約25億円)の汚職額と愛人を囲んでいた容疑で2006年に軍事法廷にかけられ、執行猶予付き死刑判決が下された。
 共通するのは二人とも総後勤部のインフラ・住宅建設部門の長歴任の経験があることだ。

□繁華街にある軍用地を払下げ、巨額のキックバックを

 谷の実家は河南省濮陽市孟軻郷東白倉村にある。
 弟の家など3軒が地下でつながり、30メートルの通路になっている。
 ここに名酒が山のように積まれ貯蔵されていた。
 家宅捜査は2晩続き、物品はトラックに積み込まれ、深夜になって市内の武装警察支部に運ばれていった。
 「市民に目撃されるのを避けたかった」ためだろう。
 しかし、谷はここに住んでいなかった。
 村トップで党支部書記だった谷俊山の実弟、谷献軍の家も家宅捜査されたが、無駄足だった。
 既に物品は移された後であり、酒の空箱だけが残っていた。

 既に前年の旧正月前に北京からやって来た軍の規律委員会、検察院の捜査員が濮陽軍分区内部宿舎に滞在し、谷の捜査は濮陽中に知れ渡った。
 旧正月にも捜査チームは留まり、3、4月には党中央規律委員会(日本でいう地検特捜部のような汚職取り締まり機構:筆者)、最高検察院の捜査員も加わって十数人の合同捜査班が組織されて捜査に実質的進展があった。

 捜査グループは谷献軍が濮陽で起業した軍用物資メーカーを捜査し、派出所から谷俊山の戸籍資料を取り寄せて照合した。
 捜査グループは濮陽市の主要幹部、濮陽市高新区責任者にも捜査協力を仰ぎ、谷俊山についての報告書を作成した。
 12年5月に谷俊山は正式に職務停止となった。

 谷俊山は総後勤部のインフラ住宅部事務局の主任、住宅土地管理局局長、インフラ建設住宅部副部長、部長や全軍緑化委員会事務局主任、全軍住宅改革事務局主任などを歴任した。
 在職期間中に軍の住宅基準は大幅に引き上げられ、軍宿舎は4回にわたり大規模な住宅建設を拡大し、住宅レベル向上が図られた。
 この過程で繁華街にある軍用地を払下げ、巨額のキックバックを受けたのだ。

 北京で谷が目を付けた環状二号線地域の軍用地は数十箇所、マンションは数十部屋に上る。
 贈り物として考えていたという。
 上海ではある軍用地を20億元(300億円超)で売却し、その6%が谷の懐に入ったとされる。
 濮陽で谷一族が土地を奪い取り開発したマンションは悪名高く、谷は不動産業者と結託して土地を横流しして手数料を受け取った。
 更に上をめざし、パートナー作りにも精を出した。
 自分の「赤い血統」(共産党の血筋を強調する言い方:筆者)を強めるべく、人を雇って父親の伝記を執筆させ、彼の経歴を誇張し、
 「革命烈士」にでっち上げた。父親の「革命烈士墓地」
さえ造成した。

 谷俊山の汚職発覚から10か月経って捜査員が濮陽の実家を家宅捜査し、栄華を誇った谷一族の崩壊が始まった。
 13年1月16日に谷俊山の弟、谷献軍が贈収賄の容疑者として指名手配され、8月に捕まった。
 
 捜査結果を社会に広く知らしめるべき
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記事(2):【2014年1月16日付 『環球網』社説(抄訳)】

 軍総後勤部の谷俊山副部長の汚職がメディアで暴露され、人々の度肝を抜いた。彼は2006年に汚職で退職した(実際には逮捕:筆者)海軍の王守業副司令官と似ている。
 彼らは共に総後勤部傘下のインフラ建設住宅部の部長を歴任したのだ。
 「家を建てる」ことで高官まで上り詰めたのだから、どれだけの謝礼を受け取り、どれだけ送ったのか。 
 「官職売買」は地方幹部だけでなく軍でもあったことを人々に知らしめたのだ。

 私たちは谷俊山事件を厳格に扱うだけでなく、捜査結果を社会に広く知らしめることを求めたい。
 何が起きているかはっきりさせるよう軍内部の捜査と世論が連携できるようにすることだ。
 これにより世論の監督と圧力が形成される。
 軍の束縛を憂慮する必要はなく、それどころか軍建設強化に社会から推進力を与えるだろう。

 民衆の支持を集め、自分たちの解放軍を熱愛する状況は谷俊山事件で変わることはない。
 人々にとって汚職が社会全体を腐食させ軍に汚染が及ぶのは意外ではない。
 人々は軍の汚職摘発の決心が地方政府よりもっと断固としており、この度の内部掃除で清潔になることを期待している。
 「8項規定」(倹約令とも称される:筆者)を実践する上で解放軍はその最前列を走る。
 「禁酒令」と「国産車」(外国高級車禁止:筆者)導入措置は、政府・党中央と歩調を合わせるものだ。

 時代は変わり、谷俊山事件は公開と監督の重要性を証明した。
 かつて軍は秘密保全の必要もあり世論の範疇外にあった。
 しかし過度の秘密保全はもろ刃のやいばでもある。
 大衆が部隊や軍人の振舞を監督し、それを推進することは軍との距離を縮める機会にもなる。
 一定の開放も現代の国防には必要であり、平和な時期に国民に対して国防という分野も理解してもらい支持を得ることにつながるのだ。
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【解説】

 谷俊山の汚職発覚は軍に大激震をもたらした。
 政権交代時に起きた薄煕来事件と期を同じくして発覚した軍高官の汚職であり、これまで摘発された軍高官の中で王守業と並んで最高位の幹部だ。
 真偽は不明だが、谷将軍は薄煕来の妻、谷開来の親戚という噂もある。

 軍用地や宿舎、インフラを管理する部門の長を歴任した将軍が二人続けて摘発されたことは、
 土地取引が中国における汚職の根源にあり
 特に軍事機密でもある軍用地は軍が持つ最大の権益であることを暴露した。
 記事でも紹介したように谷将軍が末端から出世する過程で土地取引の権利を一手に握ってそこから利益を得てそうした金銭を賄賂として贈り出世してきたのである。

 谷俊山の将軍の汚職事件は香港では1年以上前から報道されており、中国国内でも知る人ぞ知る事件として薄煕来事件と並行して、谷のバックに控えるとされる徐才厚中央軍事委員会前主席の去就も注目されてきた。

 『財新』誌のネット版が1月14日に谷俊山事件を特集として記事5本と記者手記、編集者の編集手記も掲載して、掲載差し止めになっていた悔しい胸の内を吐露した。興味深いのは党規律監督官庁である中央規律委員会の全体会議が1月13日から15日まで開かれており、会議終了に合わせるかのようにこの記事が掲載された点だ。
 まして『財新』誌のやり手編集長の胡舒立女史は規律委員会トップの王岐山書記(指導部序列6位)に近い間柄とされる。
 そしてこの記事を追うように『環球時報』が社説で谷俊山事件に言及した。
 いつもは対日で煽るような記事ばかりを掲載する『環球時報』も捜査情報の開示を求め骨のあるところを見せたのである。

 しかし、谷俊山事件が報道されたとはいえ、裁判にかけられたというような報道はなく、捜査も妨害にあっているという話もある。
 だから事件の公開にさえ2年もかかったのだ。
 そしてこの事件はまだ解決を見ていないし、うやむやになる可能性もある。
 だから『環球時報』は結果の公表を求めたのだ。

■地方の軍にメスを入れる措置だったが…

 軍に激震をもたらした谷の汚職事件だが、この事件は単に汚職や腐敗の問題、そしてそれは習近平の軍における指揮命令、統制に影響するだけではない。
 「3中全会」でも提起されたように軍の機構改革は俎上に上っており、これには兵員削減、機構の整理整頓も含まれる。
 巨大な既得権益機構と化した軍をより機能的な近代的軍にするということは軍の根本的既得権益に対してもメスを入れることを意味する。

 もともと生産経営と称してビジネスも行ってきた軍は1998年にビジネス禁止を打ち出し、表面上、ビジネスができないことになっていたはずだ。
 密輸などやりたい放題だった地方の軍にメスを入れる措置だったが、うまくいかなかったことを谷事件は暴露したのだ。
 勇ましい掛け声ばかりが聞こえてくるが、軍は汚職や機構改革という重大な挑戦に直面し、不安定になっている側面も理解しておく必要がある。

●.そして最後にもう一点。
 「解放軍が汚職にまみれ、ナヨナヨした軍隊」
だと言われたからといって
 そうではないことを証明するために日本が持ち出され、「戦って勝てる」と示威的行動に
出られたのではたまったものではない。

弓野正宏(ゆみの・まさひろ) 早稲田大学現代中国研究所招聘研究員
1972年生まれ。北京大学大学院修士課程修了、中国社会科学院アメリカ研究所博士課程中退、早稲田大学大学院博士後期課程単位取得退学。早稲田大学現代中国研究所助手、同客員講師を経て同招聘研究員。専門は現代中国政治。中国の国防体制を中心とした論文あり。